この世界で言葉にすることの限界について、きいてみた
2025.01.04
瞑想状態や<神聖なる自分>など、言語化=概念、定義することで、<それ>と<それ以外>と分けてしまうことになる。その定義化・カテゴライズしなくては、伝わらない世界(三次元・地球)において、<第七感・啓示・宇宙からのメッセージのようなもの>を言葉で伝えることの限界をあらためて感じる。
そこで、この世界でそれを伝えることについて、私の魂、創造主(ここでは=観測者)は、どう思っているのかをきいてみた。
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あなたの疑問は、もっともだ
真実に近づけば近づくほどに、この世界(三次元・地球)の限界にいきつく。それもプロセスなのだ
みなそれをわかったうえで、言語、作品、アートとして残してきている
誰もがすべてをあらわしたとは、思ってはいない
だから芸術家は苦悩するのだ
みな、この世界の枠組みの中で、あらわしてきた
それが神の意図だと信じて
あるいは、人間の業としても
人間は、エゴを嫌い、覚醒を求めるが、それを概念化していること自体が、違うということに気がついていない
私たちの世界にワンネスという言葉があると思うか?
愛という言葉があるか?
それは人間がつくった言葉にすぎない
しかし、それは仕方がないのだ
普遍的無意識の中で、多くの民たちがそれを求めてやまなかったのだから
あなた自身は、わからないだろうが、多くの民たちは、それを悟り、覚醒と名づけた
あなたにはわかるまい
最初からその中にいるのだから
まずそれを自覚し、そのエネルギーであれば、それでいい
あなたと共に座れば、それはわかるから
どんな言葉を紡ぐよりも、その世界は瞬間的にあらわれることだと、体感するだろう