日々のシンキングタイム瞑想から、頭の中がシーンとする静寂さの瞑想へ
2024.12.27
冬至Elena瞑想会 紫陽花さんの感想です。ありがとうございました!
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今回の瞑想会は初めてのリアル参加でしたが、過去3回参加させていただいたオンラインの時と同様に、1ミリの邪気もない安心安全の場だったので、すんなりと場に馴染めることができました。Elenaさん曰く、「その磁場にいれば、誰でも別次元にいける」とのこと。瞑想に気合はいらない、ただ吸って吐くだけでOKということで瞑想開始。
あっという間にオンラインの時に体感した、ただ息をしているだけでいいんだ。生きているだけで素晴らしいんだという安心感が戻ってきました。
質問タイムで日々瞑想している中で疑問に感じていることに答えていただき、大きな気づきを得ました。それは、「吐く息と共に不要なものを吐き出しましょう。」と聞けば、すぐさまそれは「何か」を探し始め、言語化して理解することに一生懸命になっていたとうことでした。私の日々の瞑想がシンキングタイムみたいになっていた理由が分かりました。(笑)そしてようやく、頭の中がシーン…とする感覚を味わうことができました。言語化しようとすることで左脳ばかり使っていたので、右脳で【感じる】ことがおろそかになっていたのですね。それに気づいたことが、この後の瞑想会全般にも大きなヒントとして活かされたと思います。
グループ全体のメッセージとして、【女性としての痛み】という言葉をきいたとき、その痛みが「何か」をあの時のあの体験、あの言葉、あの感情と探し回る必要はなく、ただ痛みが癒されると受け入れて、感じるだけでいいんだと思うことができました。
最後に「光のカケラ」が戻ってきたときも、光のカケラが何であるかは全く問題ではなく、ただただ愛おしく「おかえり」という気持ちで迎え入れることができました。「何か」は分からないけど、滝のように流れた涙を思うと身体はそれが「何か」を知っていたんだと思います。Elenaさんが仰っていた「感じないことのほうが、(私にとっては)恐ろしい」という言葉がとても印象的でした。
もう一つ勘違いしていたことは、(Elenaさんご自身は)「瞑想では歓喜に至らない」ということでした。瞑想は至福だけど、歓喜は、ある意味、刺激が必要なので。瞑想と歓喜は、違うベクトルだということ。これは、目から鱗で全く新しい視点でした。瞑想で至福や日常の高周波な状態になり、人間の欲望・欲求に確実に応えることで歓喜に至る。この2つをバランスよく人生に盛り込むことが、カサカサではなく(笑)ツヤのある人生に必要なのだと思いました。
今回もElenaさんと参加者の皆さまのおかげで、学び多き有意義な時間を過ごすことができました。本当にありがとうございました。関西から日帰りでも参加する価値が大いにありました。私の人生をまた一歩前に進めていただいたと、本当に感謝しております。ありがとうございました。
Elenaさんの印象は…
一切の装飾を排除したシンプルな人(もちろん見た目は、ツヤと潤いのある美しいお方。中身の方です)
多くを語らなくても絶対的な安心感のある人
右脳と左脳のバランスが絶妙に良い人
要は自分の魂がどうしたいかだけ、とう終始一貫した潔い人
ドスピリチュアルなフワフワした感じがなく、かといってバリキャリのガツガツした感じもなく、極めて自然体な人
余談ですが、私的には、たとえばスピリチュアルで心地よく優しい感じなのに、公式lineやYouTube、インスタなどからすぐに高額講座に誘う胡散臭さと怖さが苦手なので、そういうのが一切ないのが本当に有り難く、安心しております。(今後、そのようなSNS等の活用をお考えだとしても、Elenaさんは怖くないので大丈夫です(笑))