明鏡止水と観測者としての視点
2025.01.03
今の現実がすべて、自分が創りだしている世界だとわかれば、不毛に第三者や家族のことに囚われることは、なくなるだろう。
たとえば、その痛みは痛みとして、感じながらも、観測者としての視点があれば、必要以上に悲劇のヒロイン化やドラマティックな主人公として、おおげさにふるまうこともない。
この観測者としてのゼロ視点を、もし望まれているかたは、瞑想は大いに役立ちます。
なぜなら、瞑想はまさに明鏡止水の状態。一点の曇りもない鏡のように。また止まっている水のような静寂さなので。
「私」という概念は、そこになく、森や自然と一体化する。「私」があるから「私じゃないもの」が生まれるが、私は別にそんなことは、どちらでもなんでもいいと思っています。
今、この世界(三次元、地球、人間)で味わえる歓喜と天命をまっとおして、悔いなく宇宙に還れればありがたいです。そのためにも、この瞬間を大切に味わいたいですね。2025年という目にみえない流れと空気(エネルギー)を共に味わいましょう。