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コラム

五感から第七感まで、感覚はどのようにすればひらくのか?

2026.09.01

五感から第七感まで、感覚はどのようにすればひらくのか?

実は、それはそんなに難しいことではないんです。

たとえば普段、「何、食べる?」「うーん。特に食べたいものもないし……」といったことって、ないですか? 私はしょっちゅうあります。特に食べたいものもない。だけど、お腹が少し減っている。そんな感じです。
でも、断食後に食べるお粥や梅干しの塩味のおいしさに、ふるえるような感覚になることがあります。味覚も敏感になっているからです。

一方、日常ではお腹の声をきくこともなく、出されたものをそのまま食べる場合
味覚だけではなく、視覚も聴覚も嗅覚なども同じでしょう。

今はとにかく情報過多なので、一つひとつを丁寧に感じる間もなく、次から次へと処理しています。
そんな状態では、声なき声のような第七感を受け取る余白なんて、ないわけです。

だから、サイキックとかスピリチュアルとか、そんな話でもないんですよね。
なぜならば、人間の根源的な生命エネルギーとして、第七感のようなものは誰にでも備わっていると、私は感じています。しかし現代人の私たちは、とにかく情報過多の外側からのノイズだらけの日々ですから。身体が何を欲してるかさえ、怪しいのに、第七感なんて夢のまた夢になってしまいます。
また、直観、降りてくる感覚、第七感、啓示のようなメッセージなど。最初から『そんなものはない』と決めてしまっていたら、微細な感覚に気づくこと自体が難しくなります。
まあ、それだけの話なんです。

私の世界観の中では、聖地に行ったとき、その磁場の叡智や神々、偉人たちのエネルギーが〈わかる〉という感覚があります。それらがインストールされるというか。
ただ、この〈わかる〉という感覚は時空を超えているので、三次元の言語では残念ながら説明できないんです。
よく経営者など、左脳優位な方は先にフレームワークを知りたがります。特に合理性や生産性に重きを置いている方ほど、その傾向が強いように感じます。

でも、たとえば私が今までの知見から先にそれを説明してしまったら、逆に頭を使って、その通りのことを先にイメージしてしまいがちになる。だから、あえて先に説明しないこともあります。

瞑想は筋トレのように、目に見えて筋肉がついてくるといったものではありません。

けれど、その深みや時空を超える感覚、この肉体だけではない世界があるという感覚がわかるようになると、死生観さえも変わると思うんですよね。だって、古代の偉人たちのエネルギーと対話できるくらいなのだから、亡くなった親族とも対話できるのは不思議ではないですよね。いずれにしても、そのくらいの奥行きが瞑想にはあるということです。

ただし、どこまで感じるのかは、それぞれの魂の質や、今いるフェーズなどによってさまざまです。
同じように瞑想をしていても、感じることや受け取ることは人によって違います。

まずは五感を丁寧に感じること。
情報を次々と処理する状態から少し離れて、自分の中に余白をつくること。
そして、お腹の声をきく。
ここから丁寧に始めてみては、いかがでしょうか。